「戦姫絶唱シンフォギア」感想・レビュー

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 すっげー今更なんですけど戦姫絶唱シンフォギア1期見ました。もう今更過ぎるアニメだし、シリーズも結構長寿だし、パチンコとかスロットで粗筋は知ってるしってので見る気がしなかったんですが、Amazonビデオにあったので徹夜で1期全部見ました。

 

 一応どんなアニメか知らない人向けに説明しとくと、

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これです。

 

 ちょっとジャンルは違うかもしれないけど、熱血モノという点においては間違いなく合致してるので、「トップをねらえ!」が好きな人は間違いなくハマる作品だと思います。え?「トップをねらえ!」を知らない?見ろ。

 

 

 

 もうちょい掘り下げて説明すると、まず声優が豪華。

 

「立花 響」悠木碧

「風鳴 翼」水樹奈々

「雪音クリス」高垣彩陽

「天羽 奏」高山みなみ

「櫻井 了子沢城みゆき

 

 とりあえず1期の主なメンバーでこれだけ有名どころが揃ってます。しかも高山みなみとかチョイ役ですからね。コナンのイメージが強すぎるので使いにくいのもあるんでしょうけど、それにしたって使い捨てにするのは勿体ない。他にも男性声優だとガンダムSEEDシリーズのキラ・ヤマト保志総一朗アイドルマスターのプロデューサー役で脚光を浴びた赤羽根 健治とかも出てます。うーん豪華。

 高垣さんの声は個人的には好きなんですけど、出演作の中だとシンフォギアシリーズのクリス役が一番知名度あるんじゃないかなってことで太字にしてません。高垣さんファンの方々ごめんなさい。

 

 で、ただ声優陣が豪華なだけなら他にもあるし、それだけなら5期(2018年5月現在放送中)まで作られるほどの人気作にはならないんですよ。どうして根強い人気があるのかっていうと、やっぱり面白いからに他ならない。

 

 面白さのベクトルってたくさんあると思います。例えば脚本が良い。演出が良い。作画が良い。声優が良い。音楽が良い。でも、どれか1つ優れているだけだとやっぱり凡作止まり。名作の域に片足、いや両足突っ込もうと思ったらどれか1つが突き抜けて優れているか、2つ以上のものが優れている必要があると思うんですよ。

 

 本作は演出、声優、音楽がうまい具合に組み合わさって、脚本や世界観のガバさみたいなのを全てカバーしてます。

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 確かに、カットイン演出がいちいちサムい、変身バンクがいちいち長い、水樹奈々以外の歌が音痴、設定とかがガバい、可愛くない、色々文句もあると思うんですけど、やっぱそういうダサさを補って余りある熱さを秘めた作品でした。

 

 とまぁ大体の人はこんな感じの感想だと思うんですけど、俺が特に強く感じたのが「誰が為に戦う」という要素。これ、地味にデカい。同じ歌モノでもマクロスシリーズは結局「己が為に戦う」んですよね。まぁ誰かを守りたいという己の望みの為と言われてしまえばどちらも同じになってしまうんですけど。「けいおん!」とかも歌いたいから歌ってるだけじゃないですか。つってもバンド系のアニメはそれしか理由ないんですけど。むしろ「うたの☆プリンスさまっ♪ マジLOVE1000%」で「誰かを守るために歌う」とかやってたらマジで意味が分からなくなる。ただでさえ割と分からないのに。

 

 「立花 響」だけじゃなく「風鳴 翼」、「雪音クリス」の戦いは常に誰かの為だし、どこか自己犠牲が伴っていて、そういうところもまた格好いいんですよ。最終話、散々非道の限りを尽くしたラスボスに対して「人と人は分かり合える」その思いを託して「許す」ことが出来るのはアニメ界広しと言えど「立花 響」くらいですよ。刹那・F・セイエイも散々分かり合えるとかなんとか言ってましたけどアレはなんか違う気がする。

 

 んで、もうオッサンなので涙腺が相当緩くなってきてるんですけど、ちょっとウルッと来たときに「なんかこんな感じで泣いた記憶があるような」と思ったらこれですよ。

 

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攻殻機動隊S.A.C.きっての名シーン、第25話硝煙弾雨」

 

 この話、何が尊いってもうほんとタチコマたちなんですよ。もうこの話の尊さは俺ごときの文章力じゃとてもじゃないけど書き表せないんだけど、それでも敢えて書かせてもらうなら、SF作家であるアイザック・アシモフが「人間への安全性、命令への服従、自己防衛」というロボット三原則を書いたんですけど、これはSFにおける鉄板ネタというか推理小説におけるノックスの十戒のようなもので、SF作品で破ってはいけない暗黙の了解みたいなものなのでおそらくタチコマにもこの三原則は適用されてるはずなんですよ。でも自我(ゴースト)を獲得しつつあるタチコマは命令されていないにも関わらず、また自己防衛しなければならないにも関わらず、さらに言うなら自我を獲得しつつあることで自身の生命に対する執着が生まれつつあるはずなのに、バトーを守るために身を盾にして散っていくんですね。ストーリーも終盤に差し掛かるということで公安九課は解体寸前、メンツは散り散りという終末感漂う中で、個性を獲得し兵器としては使いものにならなくなったということで武装を外され民間に卸されたタチコマたちが、かつての主人を守るべくなけなしの装備で立ち上がり、そして「さよならバトーさん」…これまでにタチコマたちが天然オイルにより個性を獲得し、その個性を並列化していく中で自己の再定義をし始めたり、神の存在を定義し始めたり…そうした経緯もあって余計にこの話が煌めくわけなので、間違っても25話だけ見ないでいただきたい。全部見てくれ。

 

 はい。

 

 まぁそんなわけで、オッサンは自己犠牲っつーか、誰かの為に戦うってのに滅法弱いんですよね。先に紹介した「トップをねらえ!」もそう。最終話、もう熱血&自己犠牲ですよね。だからこそ

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 このシーンが輝くわけで。

 

 

 

 

 長々と語ってきましたけど、シンフォギア1期一番の魅力は個人的には「戦う理由」です。敵が来るから戦う、悪い事をするやつらが居るから戦う、みたいな勧善懲悪モノではなく、あくまで「誰かを守るために対価を求めず戦う底抜けのお人好し」という主人公、立花響の後ろ姿と笑顔ですね。本当にかっこいいヒロインでした。歌や声優も言わずもがな良いんですけど、やっぱ一番はそこかな。